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青森県金木町にある「津軽三味線会館」を訪れました。 津軽三味線生みの親、仁太坊の生き方に感動しました。 津軽三味線が生まれたのは、以外に最近で、明治の芸人「仁太坊」が従来の弾き方を物足りなく感じ、生み出した「叩き奏法」からはじまったと言われます。 後に弟子入りした天才白川軍八郎が、9歳で始め、2年で師匠を凌ぐ演奏をするようになり「津軽三味線の神様」と呼ばれるようになり、それまで東北・北海道でのみ演奏されていた津軽三味線が東京公演により大絶賛を浴び全国区にしたそうです。今活躍する名人達は全ての流派が仁太坊から始まったということです。 仁太坊の人生は「これ程不遇な人生ってある?」という程厳しいものでした。 幼少時に母を亡くし、父の身分は士農工商の更に下、8歳で失明、11歳で父を亡くして天涯孤独になります。福祉の充実した現代でさえ、光を失いひとりぼっちになった少年が生きていくのは難しいでしょう。 12歳頃に出会った上方から来た芸人に三味線を習い、「ボサマ」という唄、三味線、喋りをしながら家を周りお金を頂く芸人になりました。当時の津軽ではボサマは盲目の人がよく就く仕事で、人々から蔑まれていたそうです。 弟子達に「自分の三味線を弾け」とよく言っていたそうですが、津軽三味線は即興が多く弾き方が自由で、演奏者が個性を発揮できるものだそうで、同じ曲でも奏者により全く違うものに聞こえます。そんなところにも家元の自主性や自由な発想が現れているように思います。 雨だれや地吹雪を音で表現する津軽三味線、自然の厳しい風土と「じょっぱり」という気質が大きく影響しているそうです。じょっぱりとは意地っ張りという意味で、融通がきかない、素直じゃないとマイナスイメージがありましたが 仁太坊は差別、貧困、盲目という背景を持ちながら、「なにくそ、負けないぞ!」と言いつづけ悔しさつらさを芸にぶつけ、今では世界に飛び出す素晴らしい芸術に昇華させたのです。 「俺は乞食ではない、芸人だ」というのが口癖で、他人にどう見られようが誇り高く自分の道を歩き沢山の名人達を生み沢山の人を感動させている、その反骨精神を、津軽の人たちが自慢に思っている事がまたとても羨ましく思いました。 表現者はもちろん、どんな人でも人生においてそんな心意気を持っていたら、何でもできそうな気がしました。 このストーリーを知ってから居酒屋「杏」で聴いた、気鋭の三味線奏者、小山内薫さんの奏でる力強く重厚感があり澄んだ音色は格別でした! |
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